天井中の電灯が煌々と燈り続けるのに薄暗い。
それは、ここが地下である証でもある。
人生の淵の底の底というものがもしあるのならば、こんなものなのだろうか。
太陽と無縁、というだけで、ここに確かに存在してる生命たちの”生きている気配”の全てを飲み込んで、透明なものに変えている。
からっぽな鉄の揺りかごは、ゆったり揺れ続ける。
地下鉄は止まらない。
「カードと交換してくれるかい?」 
客がくると少女は袋の中身を確かめてカプセルを渡す。
カプセルを渡された客はそのままそこで降りる。
少女はそのままそこに残る。
客には男もいた。女もいた。若いのも、中年なのも。
カプセルはまだある。
少女はランドセルからピンクの携帯電話を取り出し、開いた。
そこには”瀬書くな地上での時間”が映し出されている。 
少女は席をたち、地下鉄を降りることにした。
ピンクの携帯電話を握り締め、少女の脚は自分の場所に戻るためのホームにむかう。
地下鉄内のホームへの道は長い。
カプセルはまだ残っている。


ハメ殺しの窓から時計の隙間をかいくぐるように射しこむ光は、もう随分前から黄色味を帯びていた。 
時計たちは、変わらずお構いなしに、時をてんでにきざんでいる。
けれど老婦人はまだ来ては居なかった。
占い師はソファに座り、時が刻まれてゆく音に包まれて、壁から床へと伸びてゆくオレンジ色の光を、ただみるともなしに眺めているだけだった。
老婦人は まだ来ない。



何度ペンキを塗りなおしても、薄汚れた風情が拭えないいつものネットカフェで、若い男は画面に向かっていた。
もう一手、伸ばしたいのだけれども、どうにも対面の動きがウザイので、安手でもさっさとアガってやろうかどうしようかと、ここ2,3ターン考えあぐねていたのだ。
まあいいか、いってしまえとクリックしたとき、少女が背後に現れていることに気がついた。

「お?終わったか?」
振り向いた若い男は、瞬時に給食袋の丸いデコボコにきがついた。
「全部配れといったろ!」
声の音量こそ絞っているが、当然のように血相は変わっている。
「でも、でも、、」
少女はたじろぎながらも精一杯抗議した。
「これいじょう遅くなると、おかあさんに怒られる・・・・!」
若い男が殺した声で怒鳴る。
「全部配るんだ!今日するんだよ!今日でないとダメなんだ!」
PCの画面がハデになった。
若い男の脾が 対面に当たったらしい。
舌打ちしながら若い男は、いきなりPCの電源を落とすと、少女の腕を掴んだ。
「こい。」
そしてカウンター内で見ないふりしている店員に料金を投げつけると、少女を連れ出て行った。


空はもう群青の気配を漂わせていた。
直に夜になる。
乾いた風が小さな渦を巻いて足元を通り過ぎる中、若い男は嫌がる少女を、地下鉄の昇降口まで引っ張っていた。
「さぁ、もう一度いってこい。」
「でも、でも、」
少女は抵抗する。携帯を握る手に力が入ってゆく。
「・・いいからいってこい!」 若い男に押されて バランスを崩したのか、少女がしりもちをついた。
 ”しまった”という表情になったのは男のほうである。
そんなに力を入れたつもりはなかったのだ。 
しかし、はずみで少女の手の携帯は道をすべってゆき、ランドセルから大事な給食袋がはずれてしまった。
携帯は道をすべりつづけ、給食袋からこぼれたカプセルは転がり、カード袋は道にばら撒かれる。
若い男はあわてて這い蹲り、泣き出しそうな表情でカード袋やカプセルを集めだしている。
すべるピンクの携帯は、通りかかった靴に当たって停まった。 
めったに人も車も通らないこの道をきた通行人は、訝しげに携帯を拾うと、自分の行き先を2人のいる方向へと変える。
そして 立ち上がり、軽く尻をさすっている少女に尋ねた。
「これ、この携帯・・きみの?」
「すっこんでろよ!おっさん」
少女が答えるより早く、若い男が怒鳴った。
それは悲鳴にしか聞こえなかったが、少女は言葉を飲み込み、出しかけた手をひっこめてしまった。
通行人は怪訝な顔で若い男のほうを見た。
そして、そのくたびれたスーツの上着のボタンをきちんととめなおした。
それから一歩二歩と足を運び、転がろうとするカプセルや風に流れようとするカード袋をやっきになって集めている若い男の傍にたった。
そして若い男を見下ろしながら静かに言葉をかける。
「大変そうだね。手伝おうか?」
「いいから、とっとと失せろよ!」
汚れた道路に跪(ひざまず)いて、周囲をかき集めながら発せられるその言葉は、泣き声以外の何物にも聞こえない。
しかし、くたびれたスーツの男は立ち去ろうとはしなかった。
両手をズボンのポケットにしまい、這い蹲る若い男の傍らで 静かにじっと立った。
少女は ただ、たちつくしている。
なにやらの気配を感じとったのかもしれない。
が、少女には何もできなかった。
若い男の震える手がようやく最後のカプセルを捉えた。
抱きしめる格好で抱え込んでいた給食袋に、カプセルは納まる。
若い男の背中に安堵が走るのが明白にみてとれた。
「よかったじゃないか。」
くたびれたスーツの男が若い男にむかって言葉を落とした。
すると若い男は険しい目線をくたびれたスーツの男に浴びせようとした。
しかし彼には視線を相手に刺し込むどころか、相手の顔すら見えたかどうか疑わしい。
せいぜい靴底の裏がみえた程度だろう。
くたびれたスーツの男は、若い男がこちらにむけたその顔面を、踵でもって蹴り付けたのだ。



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