帰宅したのは11時少し前だった。

TVのリモコンを押してから、冷えた飯をレンジで温める。

TVのバラエテイーには いつからか笑えなくなっていた。
探してニュースかスポーツのチャンネルにあわせる。
ヒトの声だけあればいいのだ。

カンヅメを開けて、温まった飯を口に運んでいると、
天井からパタパタ動く足音や、笑うコドモの声が時折かすかに聞こえる。

2人とも まだ起きてるらしい。

足音や笑い声でも、どちらのコドモのものかが、もうわかる。
動き方や笑い方に、なんとはなしに特徴があるのだ。
今夜の気配は穏やかだった。
2階の親子が越してきたのは7年くらい前だろうか。

夫婦で挨拶にきていた。
そのときはコドモたちは ひとりはその母親の腕に抱かれ、
ひとりは体内にいたようだった。
その頃は まだ母が健在で仕切っていたので、
信彦は玄関のドアを開けたときにちらりとみたきりで、話はしていない。

オトコのほうが母に挨拶している声が聞こえた。

はっきりと通る声で、にこやかに穏やかに、
丁寧な言葉を正確に使って話していた。
密やかな自信に裏打ちされて、
着実に実績をあげてきた営業職の男が持つ声と話術だった。

母が上機嫌で対応していたことも覚えている。

抱かれてる子供が、甲高く回らぬ舌で見当の違う言葉のような音を、
しばしば挿んできた時でさえもお世辞を言って返していたくらいだ。

母はすこぶる上機嫌だったのだ。

そのときの男は、そこそこ質のよいビジネススーツをきちんときていた。
日本風でも英国風でもなく、イタリア風味が加味されたスーツだった。
時折みかける出勤時の姿も基本は同じだった。
通りがかる他のマンションの住人に、気さくに鷹揚に朝の挨拶を送りながら、
洒落たスーツに身を包み、頭を上げてまっすぐゆったり歩いてゆく。
アポロンの系譜に属する男だと思った。
男とムスメの楯の後ろで黙っていた小柄なしろいもの_
2階のひとの印象はそれしかない。

7年近くなるのだが話したことはおろか、
間近で顔を見つめたことも実は一度もない。


そして、母は2階を常に気にしだすようになった。
確かに昼夜を問わず、音はひっきりなしに降ってきていた。
笑う音、泣く音、叫ぶ音、走る音、ものが倒れる音・・・・
しかしそれら全てが小さなこどもが立てる”通常の”音だったので、
信彦なぞには咎めるどころか、どうかすると気がつかない類のものだった。
その頃は、あの”咆哮”などかけらもなかったのだから。

けれど 母にはそういうわけにはいかなかったらしい。

音ひとつひとつに 眉をしかめ 天井を睨みつけ、罵った。
「なんて けたたましい子なんだろう」
そして呪詛のように必ず付け加えていた。
「あのひとは こどもの躾ひとつできない」

母はオカズもつくった。
最初は筑前煮だった。
「これはね、コドモがすきなんだよ」とつぶやきながら。
そしてそれにも必ず呪詛が続いた。
「あのひとは なにもできないんだから」

煮き上がった筑前煮を容器に詰めて、服まで着替えて、
よそいきの顔で2階へと運んでいっていた。
いまから思えば、母は既に固まりだしていたのだろう。
筑前煮は、ゴドモが というより、
新居を構えても音沙汰ひとつない兄の好物だった。

母の出前は連日続いた。

料理は 時にカレーであったり、シチューであったり、
揚げ物の類であったりもした。

毎日届けていたことだけは間違いない。

母がなんと言って 手渡していたのかは わからない。
2階のひとが なんと思っていたかも わからない。


聞きなれた靴音が聞こえてきて、我に返る。
2階の物音は、いつの間にか止まっていた。
時計を見ると 1時を少し過ぎたとこだった。
とうにコドモたちは眠ったのだ。
2階の主の今夜の帰宅は少し早かったようだ。
今夜は もう 信彦の用はない。

信彦は 眠ることにした。

 

 




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