私は 家に居るときは たいてい部屋を建てている。
時間は特に決めていない。というか、決められない。
世の中には 全く同じ生活リズムをキープするヒトが大勢居る。
けれど、なぜか私にはそれがどうしてもできない。
私のリズムは刻んだ尻から消えてゆき、再び現れてくることがない。
学校にいかなければならなかった幼い頃は本当に困り果てたものだ。
面白いことに 私にとってはうらやましくて仕方がないリズムキープ能力は
鬱陶しいとされるべき能力と感じられ、時に持て余されるものらしい。
このすばらしい能力は”時計ノ戒メニ囚ワレル凡人ノ証”との濡れ衣を着たまま、見て見ぬ振りされている。
時を刻むのは生き物のカラダであり、時計ではないのに。
立派に時が刻めることは生き物として誇っていい。
もっとも ワインのおりのように社会の根底に澱む変人崇拝幻想のおか
げで、排除されずに現実社会に紛れこめていることは、とてもありがたい。
話がそれてしまってる。話を戻そう。
やる気はナイのだが年月だけは結構たったので、私の部屋でも来客があ
ったりする。数こそ多くはないが、常連らしき人々もいる。
彼らはそれぞれに訪れるのにほぼ決まった時間帯があって、時に毎日の
ように”その時間”に現れる。そしてある日を境に来なくなる。
別に私の部屋で問題があったわけでもなんでもない。
その人がシェルターを、うさばらしを、幻想を必要としなくなっただけだ。
いずれ次のヒトが現れ、緩やかにヒトは入れ替わってゆく。
澱みながらも流れが絶えることはない。
ららはそれからちょくちょくやってくるようになった。
しかし、ららのリズムはまったく不定期だった。
午後7時ごろだったり、午後11時ごろだったり、真夜中すぎだったり。
明け方のこともあるし、晩飯時のこともあった。
毎日居るかとおもうと、長らく消えてたりもした。
「コンバンワ」
と、つるつるっと入ってきて、たいてい黙ってる。
最初はひたすらカマってもらうのを待つタイプなのかとも思った。
それならば、もはやカマッテおじょうさんを手取り足取りオモテナシする気
力が萎えてしまっている私にとっては、甚だわずらわしい事象だった。
ところがそうでもないらしい。
黙っているのだが、憮然とはしていない。
何かしらフンフンフンと鼻歌でも歌っているようだ。
そして、なぜか居合わせた他の客には、とても受けが良かった。
話のつながりを手繰って、上手に次の話題を提供するのだ。
何もないときは、他愛ないことをいって相手を喜ばせている。
少々クセの強い傾向のある常連でさえもが「ららちゃん、かわいいね」と
私に告げるほどだった。
なかには、ららのことを知りたがるやつも、やはりいた。
さすがに”話さないことを知りたがるのは無作法”との
暗黙の心得がある常連たちには有り得ないことだったが、
フリーの客はそんなことにはおかまいなしだ。
いくつかからはじまって、どこにすんでいるか、昼間はどうしてるのか、
カレシはいるのか。
ところがららの答えときたらそのたびに違うのだ。
同じなのは名前と年齢だけで、あとはバラバラだった。
女子高校生だったり、専門学校生だったり、学校へいってなかったり。
ケッサクなのは出身地だった。
「ドコスミ?」と聞く輩は2種類あって、自分は○○だけど、と先に名乗るやつと
自分のことはまったく棚に上げるヤツがある。
ららは、自分は○○だけど、と名乗るやつには、まったく逆の方角の土地名を答える。
北には南を、東には西をというように。
お見事なのは棚に上げるやつを相手にしたときだ。
かならず似た様でいて少しズレル地域を答える。
ららの出身地は青森だったり、東京の青梅市だったり、
京都だったり、広島だったり、大分だったりした。
青森と答えたときは、質問者が北海道の出身だったし、
京都のときは大阪だった。
広島のときの相手は愛媛で、大分のときは福岡だった。
そして東京モノ相手には青梅市と答えていた。
私はららの嘘の的確さと大胆さに感心した。
どちらの場合も質問者は故郷という取っ掛かりを得、
嬉々として自らの地域を思い出を知らず語ってしまう。
ららは、そのたびにこにこと、時には目を丸くして見せ、うなづいている。
そして次の糸口を手繰る。
相手が望む答えを口にする。
あっぱれとしかいいようがなかった。
ららの嘘は常に心地いい。
彼女は相手の隠された心が望む嘘をついた。
そして彼女は決して自分のことは話していなかった。
自分のことになりそうな気配の時点で察知し、
実に巧みに話題を自分からそらしてゆく。
だから、誰も彼女については、なにも知らないままだった。



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