すーちゃん
2003/11/23
占い師の午後
利用客がほとんどいないせいで、手入れも清掃も何もかもが忘れられた地下鉄駅の階段から、ポットをぶらさげた占い師が出て来た。
ポットには熱い湯がたっぷりいれてある。
仕事場の水道や電気がいきなり止まってたりするので、(ガスの栓は開栓されたことがない)、湯は持参することにしていた。
本日占い師は、どうやら”気分が良い”らしい。
下げているポットはかなり重いだろうのに、小躍りしそうな足取りで、かつて三流程度の繁華街であった街の路地を フンフンフンと通り抜けている。
ほとんどの店舗が空き家で人々はもういないのに、埃を被った体臭の気配は拭えない。
ここは、きっと ”忘れられた街”ではなく、”思い出したくない街”なのだろう。
建物と建物の隙間によくぞ建てたモンだと思われるような細長いビルに、占い師はたどり着く。
このビルの2階が占い師の仕事場だ。
ポケットからスーパーのレジ袋を取り出して、備え付けてある集合ポストのうちのひとつの戸を開ける。
そして中身をがさがさっと取り出し、これまたガサガサいう袋に放り込む。
それから外付けの錆びた鉄の階段を上がってゆく。
エレベーターなどない。
非常階段を兼ねる外付けの階段、これきりである。
ワンフロアに一店舗がやっとのこのビルは 7階建てなのだが、営業しているのは2階の占い師の仕事場のみ、つまり他のテナントはいない。
施錠されたうえ廃材の板切れで釘打ちさた扉が 2階を除く各階にあるばかりで、おまけに1階ときたらシャッターが壊れてゆがんで捻じ曲がり
(かなり以前にどこかの車かバイクがぶつけたらしい)
かつてショーウィンドーを兼ねてたガラスもきれいさっぱり割れて、
(しかもまだかけらが散らばったままで)
文字通りのもぬけの殻である。
どこからみても廃墟なのに、なぜ占い師だけがこのビルに居残り続けているかには理由があった。
このビルの建物と敷地の持ち主が”先代”の占い師なのだ。
”先代”が自分の土地にこのセセコマシイビルを建てて、2階を自分の仕事用に、他を賃貸してた。
占い師が(そのときはまだ占い師とはいえなかったのだが)ある日部屋に来ると"先代”が居なかった。
そして、そのままずっと居ない。
連絡もなく、消息も聞かず、理由もわからない。
”先代"が居た当時は、テナントも埋まり、街は繁華街だった。
が、時は流れに流れて、現在こうである。
階段を上って占い師は、鎖と歯車を組み合わせてわざと大きく軋む音が出るドアを開く。、
部屋は2つしかない。
ひとつめの部屋にトイレが、ふたつめの部屋の奥に申し訳の台所が隠れている。
ひとつめの部屋には、明り取りのみの為のはめ殺しの小窓が作られているが、ふたつめの部屋には窓はない。
ひとつめの部屋にソファが3つ、隅に椅子が3脚、小さな丸テーブルがひとつあって、全ての壁が時計で覆われていた。
占い師はまずポットを隅のワゴン台に置き、コードをつないでコンセントを差し込む。
ポットの頭部の赤いランプが今日はちゃんとついた。
ということは今日は照明もつくのだ。
照明のスイッチをいれると、占い師は脚立とハタキとネジ鍵の束を取り出して、壁の大小様々な時計たちにかるくハタキをかけていく。
数える気が瞬時に無くなるほど多数の時計たちは、全て"先代”が集めたもので、それぞれがてんで勝手な時と音を刻んでいた。
しかもデジタルどころか、電池式なものすらひとつもないので、止まっているものも多い。
これらの時計は毎日ネジを巻いてゆかなくてはならないのだけど、あたりまえだが時計の数だけネジはある。
しかしどうやらこの手間を、この占い師は厭わないらしい。
といって、この占い師が格別几帳面であるわけではない。
実際に占いに使う奥の部屋などの隅には、埃溜まりやちっちゃなクモの巣などが平気で存在したままになっている。
毎日毎日ネジ巻きのために通う気もさらさらないようで、自然時計らは狂いっぱなしだ。
ともかくネジが巻かれると、またひとつ、時を刻む音が加わる。
もちろんネジを巻こうとしても動こうとしない壊れているものも多い。
それらは 停まったときの時間のままで壁に貼り付いている。
時計の世話をあらかた終えると、占い師はスーパーの袋の中のにあるポストの中身を確かめる。
チラシや紙くずや、たいていがそのままゴミなのだが、電気代や水道代の督促状(何年も前に"先代”の口座は底をついたらしい)や客からの伝言メモがまざることがあるので、おろそかにもできない。
占い師は気が向いた日の気が向いた時間にしか来ないので、訪ねてきて空振りだったお客が「○月○日の何時ごろ、またまいります」とメモを残すことがあるのだ。もっとも、"先代”が居なくなった当初はともかく、作今はめったにないが。
そして、そのメモどおりに当人が再び現れるとも限らない。
中身の確認はすぐ終わった。
今日はゴミだけである。
占い師は階段を降りて立て看板を置き、そしてまた階段をあがると、”先代”が残したローブをすっぽりとまとった。
これで、営業中 である。
占い師は時計に囲まれた部屋のソファのひとつに座り、まず自分のためにお茶をいれた