すーちゃん

2003/11/23

 「そういえば、おまえ、いつ自転車にのれるようになったんだっけ?」

 なんでもない午後のことだった。

 埃をかぶった男の子用の自転車を見ながらため息をついていた母親がいきなり問いかけた。母親の言葉は続く。

 「鈍クサくて怖がりで教えてやるって言ってるのにきゃんきゃん怒ってさ・・、『ああ、自転車が勿体無い』っておもってたもんだけど。いつのまにか乗れるんだね。」 

 「あたし、別に自転車いらなかったもの・・」

 独り言と愚痴の中間くらいの声と口調でナオは答える。

   母と話すときはたいてい(喧嘩する時以外は)そうだ。

 「お父さんは大甘だったから・・」母親のいつもの文句だ。

 自転車を欲しがったのは姉だった。

 けれど亡くなった父親というヒトは誰にでも甘い人だったが、娘たちにはことさら甘かった。

 欲しいと一言言えばなんでも与えられた。そして姉と同じようにと妹にも買い与える人だったのだ。

 欲しくてたまらなかった姉とは違い、嫌でしょうがなかったナオはいつまでたっても乗ろうともせず、乗れなかった。

 「すーちゃんだよ。」

 常日頃、あんたのことはなんでもわかると自信満々の母親だが、この名前は全く意外だったらしい。

 目を開いたまま、一言も発しなかった。

 すーちゃんの家は通りをひとつ隔てたところにあった。

 ナオの年は同じ年の子どもが近所にはいなくて、一番近い家がすーちゃんちだった。

 小学校に行くより前から、お互いがお互いの存在は知っていた。

 けれどその隔てる通りで町内が西と東に分けられていたせいか、共に遊ぶことが無だった。

  親同士のつきあいはそれなりにあったらしいが、小学校の頃は同じクラスにならなかったこともあってか、口をきいたこともなかった。

 中学校の1年生のとき初めて同じクラスになり、言葉を交わすようになった。

 けれど、気恥ずかしさやぎこちなさは、なぜかはじめから無かった。

 ともすれば紋切り口調でケンを含んでしまうナオの投げかけに、すーちゃんはぼそぼそ、ぼそぼそと答えてた。

 それでいて、突然頓狂な仕草や言葉をいきなり投げ返して、ナオを面食らわせた。

 それはすーちゃんが、相手を(とくに女の子を)必ず泣かせてしまうナオの詰問口調に、少しもへこたれてない証のように思えた。

 だからといって、2人が特別親密になったということではない。どこまでもただの同級生だった。

 その日もなんでもない日だった。
 夏が終わったばかりの頃だった。

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