朝、少年が制服に着替えて居間にいくと、弟は先に食卓についていた。

今日のパンはちゃんと焼いてあって、バターも塗られている。

少年の分もちゃんと皿に載って、椅子の前に置かれてた。

台所ではワイシャツ姿の父親が目玉焼きを焼こうとしていた。

パンには手をつけず、牛乳だけ飲み干すと少年はカバンを手に玄関に向かった。

「いってらっしゃーい」背中に弟の声がした。


学校は少しも変わり映えしてなかった。

担任が何か言いたげで、うざさが増したくらいだ。

採点の済んだ答案用紙が授業のたびに還ってきた。

解答した後は最悪の出来だと思っていたが、点を見るとそうでもなかったらしい。

学校の帰りに、例の空き地によって見た。

けれどおっさんはいなかった。


家に着くと、年配の女性が掃除機をかけていた。

少年をみると満面の笑みをつくって、身元を名乗った。

少年は何も答えなかった。

「この家にはクリスマスツリーがないのねぇ。」

その年配の女性はそういった。

少年は何も答えなかった。


塾へ行こうとしたとき、トモダチの母に送られて帰ってきた弟とすれ違った。

少年が自転車を出しているとき、「おかえり、おかえり。」と弟が迎え入れられている声が聞こえた。
 
少年は無言のまま、夜へと差し掛かる冷たい街へと、ペダルをこいだ。


派遣員は土曜も日曜もおかまいなしにくるようだった。

日に数時間に渡るので、途中で交代することもあった。

みな年配の女性たちで、一様にクリスマスツリーがないことを、

まずはじめに口にしてみて、そしてすぐ気にしなくなった。

彼女らを手配するのに父親はいくら使っているのだろう。



日曜の朝、父親は仕事には行かず、幼いほうの息子を連れて映画館へ行った。

顔なじみになった派遣の年配の女性がにこにこと手を振って見送り、

そして一人残る少年に、今夜はカレーにしましょうねぇ、エビをいれてもいいかしらねぇ、などと、

まるで祖母かなにかのように語りかけていた。
 
帰ってきた弟は眠るまで父親が歌って聞かせたいいかげんなゴジラの唄を唄い、

映画館でもらったらしいちいさなオマケの人形で遊んでた・
 
そして夜中にはまた泣いていた。




月曜日少年はひとりで電車を乗り継いで、試験会場の高校に行った。

会場で何人かの同級生をみかけたが、声をかけることはしなかった。

試験は小論文と面接だった。

まず一斉に小論文の試験がはじまった。

少年の成績からいけば、何か書けばそれでいいはずだった。

けれど少年は受験番号と氏名、出身中学をかいただけで後は何も書かなかった。

それでも15分ほどは席に座っていたのだが、時間に耐えられず教室を出てしまった。

小論文の課題は「家族の役割とそのあり方について」だった。

少年には何も書けなかった。



雪を孕んだ雲から、辺りを凍りつかせる冷気が容赦なく降り注いでいた。

少年は試験場の校舎の隅に佇んで、空を見上げていた。

足先から凍り付いていくのがわかるようだった、

体ばかりではなく、感情も考えもこころの奥底までも、凍りついていくようだった。

面接の予定されている時間まで待てそうもなかった。


夜、担任から電話がかかってきた。

受験した高校から早々に連絡がいったらしい。

派遣員に任せて少年は電話にはでなかった。

派遣員は電話を切ると、そっとPCに張り付く少年を見つめたが、

何も言わなかった。そして黙って弟を風呂へと促した。

弟が寝付くと派遣員は引き上げていった。

父親への連絡事項には、担任からの電話の内容がきちんと記載されていた。

父親の帰宅時間はまた以前と同じになっている。

少年はPCの前から身じろぎせず、ただ画面だけをみつめていた。



幼稚園は一足早く冬休みとなり、中学校も短縮授業になっていた。

担任はいいよどんでいたが、不合格通知はどうやら試験のその日に届いたらしい。

もともと公立一本でも無理じゃない成績なんだからと慰めのつもりなのか

担任はしきりに繰り返してたが、少年には他人のことのようにしか聞こえなかった。

幼稚園が冬休みになると同時に父親はまた元の朝の通勤電車に乗るようになった。

朝から派遣員が来るようになったのだ。

そして幼稚園の母親達も、たちかわりいれかわりケンゴを迎えにきた。

昼ごはんと遊び相手つきの自宅にケンゴを連れ帰り、暗くなる頃に送って戻してきた。

それで少年の午後は、日替わりの派遣員と過ごすばかりだった。

だからといって会話をしたわけではない。

少年は自分の部屋かPCの前かのどちらかに居た。

なにも変わったわけではなかった。

ただ弟が居ない分だけ、弟を殴らなくてもよくなった。


冬の最後の祝日の前日が終業式だった。

式は小一時間もかからず終了し、生徒は帰された。

そしてその日、少年はあんなに忌々しかったクリスマスにきらめく街並みの中に居た。

Toy’sShopの店頭では、残されたツリーたちが叩き売られるような値段に変わってた。
 
少年はしばらくショーウィンドゥを眺めていた。

風が雪を載せて空を舞っていった。

不意に少年は悟った。

母が帰ってくることは、もうない、と。

やがて少年の足は家へと向かった。

あの空き地におっさんはいなかった。

風が日差しを乱暴に散らしていた。


次の日も父親は仕事にいった。

少年は弟と2人だった。

今日はさすがにどこの家も都合がつかないらしい。

ケンゴを迎えに行くという電話は、どこからもなかった。

「ビデオみてもいい?」弟が聞く。

少年がうなづくと、自分でカセットを入れた。

サンタクロースの話のビデオだった。

先の日曜日に父親と借りてきたらしい。

画面の中では小人がおもちゃをつくり、ミセスサンタがクッキーやチキンを焼いている。 

弟は食い入るようにみている。

突然画面が真っ暗になった。

少年がTVのスイッチを切ったのだ。

「いやだ。みる、みる、みる。」弟が泣き叫びながら抗議する。

少年が立ち上がった。

咄嗟に弟はうずくまって頭を抱える。

けれど、弟は殴られはしなかった。

兄は自分の部屋へいったのだから。


自分の部屋の机の引き出しを開ける。

そこにはいつかの朝、父親が差し出した一万円札があった。
 
札をポケットに押し込むと、弟の小さなコートを手に取った。

きょとんとする弟にコートを着せながら、少年は言った。

「でかけるぞ」

おそるおそる弟が聞く。

「どこいくの?」

「おもちゃやさ」

少年は靴を履きながら答えた。

「ツリーを買いに行く。」

弟は大慌てで靴を履いた。

「クリスマスするの?するの?」

繰り返し繰り返し尋ねる弟に答えるかわりに、少年は玄関の戸を開けた。

出勤してきた派遣員とすれ違った。

「ツリーかいにいってくる。」

弟が振り向いて叫んだ。

派遣員が手を振った。

何かいってるようだが聞き取れない。

彼女はただただゆっくりゆっくり、遠ざかる兄弟に手を振っていた。

 


続きをよむ    もどる    やめる